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身体から革命を起こす

身体から革命を起こす 人気ランキング : 12,412位
定価 : ¥ 1,470
販売元 : 新潮社
発売日 : 2005-01-22
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価格 : ¥ 1,470
想像を絶する面白さ

 本書は現代に甦る達人伝説である。
 甲野善紀氏は武術を研究し、極めて現在強い人になってしまった。そこまでの30数年のプロセスを考えると頭の下がる思いである。また目標になるべき人物の出現に歓喜あふれる。
 何を言っているかわからない方は是非本書を一読あれ!あなたも私と同じ喜びを分かち合えること、必定である。

身体観の拡張

 前著「不安定だから強い」で、身体教育研究所の野口裕之氏の思想を「身体観の革命」とし、多大な影響を受けているとし、今回更に野口氏に対して頻繁に言及されるから、一切宣伝しない野口氏の言葉を直接には触れずに、甲野善紀氏をもって言及しようとしていると見なせる。その眼目とは明治維新以前と以後の日本人ではその身体観、身体感覚が全く異なっていて、以前の日本人は全体的な世界観として統合的な身体観を持っていたということである。
ハイデガーは存在を問うことによって東洋と西洋の存在の出会いによる全人的な文明を構想したが、ナチスとなってそれは結実した。そこにはこのような身体は存在しなかった。であるから整体的、武術的身体は近代文明全般の危機を乗り越える全的な価値の根源となる可能性を持っている。だから『革命』なのである。しかしこうした身体感覚の解釈論議は、あいまいであるがゆえに受け取る側がどう取ってもかまわず、結局狭い仲間内の誉めあいの共同幻想になってしまうという、芸術や宗教によくあるような問題が発生する。
 であるから甲野氏は結果の出る武術なのである。

正しいのは

この本を読んだレビューは
残念ながら「正しいもの」はひとつもないと思ったほうがいいと思う...
私のものもの含めて...
それでもこのレビューを書くのは
この本を読んで
正しいのは「自分自身が触れた感覚」と思ったから...
それは「触れた者」しかわからない
人間の、非常に優れていて、かつすばらしい「感覚」というものを
体当たりで獲得した著者が描いた「結晶の本」だと思う

信仰を超えて

前著「不安定だから強い」で、身体観の革命=野口裕之の思想だ、とあり、今回このタイトルだから言い逃れは効かないだろう。
「甲野さんは武術だが野口さんは整体だから正反対だね」と整体にはまっている連中がいうのは確かに頭が悪い。
 それは武術と整体とどっこいどっこいだが、そういうつまらない上っ面だけの風評を払拭する役割を本書は持つ。
 武術とは身体についての一つの側面であり、すべてではない。それは整体がそうであるのと同等である。
 甲野氏は野口氏のような協会を持たない。であるから大道芸のように渡り歩きながら本や実演でまかなうしかない。
 甲野氏のこの辺の苦労と自由は整体協会の信者にわかる筈も無い。
 協会は制度であり、容易に信仰に走る。
 しかし意外なことに甲野氏も名越氏も野口氏がなにをやっているかについて知らないのである。ここには膨大な闇があり、人々は足をすくわれるだろう。
 野口氏は「整体の学問化、科学化には命を賭してでも反対する」といっている。ここでいう整体は身体への問いかけそのものであるから、「新たな学問」という甲野氏の試みは早晩座礁するだろう。なにせ彼らは野口氏が何をやっているか知らないで言葉だけ借りてきているのだから。
 むしろ非学問的な彼らの人脈こそ整体に光を当てうる。彼らの可能性と脈絡は近代国家=所詮は物理化学を範とする科学主義による管理、をとうに超えている筈だ。
 他、K-1やプライドに出ているどんな選手よりも、甲野さんや甲野さんの紹介する達人の方が異次元的に強いと思う。技を受けてみればわかることだから皆さん御自由に。

身体観=世界観の革命 身体の再発見

 この本は武術家甲野善紀氏の過不足ない現在の全貌を伝えようとしている。前作の「不安定だから強い」の、「面白いからやってみよう」というレベルを超えて、はっきりと仮想敵が想定され、緊張した文体となっている。
 敵ははっきりと現代の西欧生理学的身体観である。
 ジャンルは舞踏、介護、音楽、スポーツ。それぞれのジャンルの人々へのインタビューである。
 「甲野の技に驚くことによって、みずからの身体を未知なる領野と化した人々は、自分が今いかなる身体としてあるかということを意識するようになる。そこからは、存在論的なテーマが、日々を生きることの実感のうえに重なって見えてくる。」
 「『技』とは言わないだろうが、『法』とか『仏性』とか『生命』とか『神』とか、言葉はどうあれ、自己を、この瞬間にひらめく鮮やかな感覚の体験のうちに解消されたうえで、観念的な永遠性に回収され、その観念を背景にした人物に支配されてしまう。武術においても、それと同じことが起こりうる。『技』が、ともすれば神秘化されることの危険性である。」
 こうした問題を、名越康文氏をひきながら、「個我」の実体概念がうみだすもの、としている。そしてそれは、西欧近代の生物学=医学が生み出した、物質的、機械的身体観の産物なのであり、それらを私たちは観念として頭に埋め込まれているのである。
しかし、この西欧の「機械としての身体」も、「運命は偶然ではない」とすれば、「必然的な反動」として私たちの身体を貶め、ローラーで地均ししてきたことになる。

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